久留島武彦音声資料、デジタル保存化への取り組み
タイトル「久留島武彦音声資料、デジタル保存化への取り組み」
桑野 英司
●はじめに ~郷土の先哲、久留島武彦翁との出会い~
“鳥のように空を自由に飛んでみたい”というのが、幼い頃からの夢でした。今から十年前にパラグライダーと出会い、二十七歳のとき、地元・伐株山からのフライトでその夢をかなえることができました。伐株山は、フライヤーが憧れる日本屈指のスカイスポーツエリアです。毎年、全国から多くのフライヤーがこの山を目指し、玖珠町へやって来ます。しかしこのスポーツは、「雨が降ったら飛べない」「晴れても、風の強い日は飛べない」という、限られたコンディションでしか楽しめません。私は、地元のスカイスポーツクラブ『Zu伐株』に所属し、ボランティアのフライトエリアガイドもしています。そこでよく耳にするのが、「フライト以外に、この周辺で楽しめるスポットはないのか?」という観光客の声です。
ならば“温泉紹介ができるように”と、伐株山周辺の温泉散策を始めました。伐株山周辺には、「玖珠温泉群」「九重九湯」「深耶馬溪温泉郷」「天ヶ瀬温泉郷」「小国温泉郷」という、温泉マニア推奨の温泉郷があります。調べ歩くうちに私は温泉マニアとなり、温泉成分表の収集が楽しみの一つとなりました。今では温泉紹介のHP(ホームページ)を自身で開設し、一般公開しています(玖珠フイルムクラブ http://kusu.news-site.net/)さらに温泉以外の観光スポットを調べていたところ、「童話の里」のルーツ・久留島武彦翁の存在を知ることになります。私は玖珠町で生まれ育ったものの、郷土の先哲や歴史を学校で教わった記憶がなく、玖珠町がなぜ「童話の里」と言われているのかを詳細に知りませんでした。ですから、観光客からそれを尋ねられたら、満足な解説ができるのであろうかという不安を感じました。
“鳥のように空を自由に飛んでみたい”というのが、幼い頃からの夢でした。今から十年前にパラグライダーと出会い、二十七歳のとき、地元・伐株山からのフライトでその夢をかなえることができました。伐株山は、フライヤーが憧れる日本屈指のスカイスポーツエリアです。毎年、全国から多くのフライヤーがこの山を目指し、玖珠町へやって来ます。しかしこのスポーツは、「雨が降ったら飛べない」「晴れても、風の強い日は飛べない」という、限られたコンディションでしか楽しめません。私は、地元のスカイスポーツクラブ『Zu伐株』に所属し、ボランティアのフライトエリアガイドもしています。そこでよく耳にするのが、「フライト以外に、この周辺で楽しめるスポットはないのか?」という観光客の声です。
ならば“温泉紹介ができるように”と、伐株山周辺の温泉散策を始めました。伐株山周辺には、「玖珠温泉群」「九重九湯」「深耶馬溪温泉郷」「天ヶ瀬温泉郷」「小国温泉郷」という、温泉マニア推奨の温泉郷があります。調べ歩くうちに私は温泉マニアとなり、温泉成分表の収集が楽しみの一つとなりました。今では温泉紹介のHP(ホームページ)を自身で開設し、一般公開しています(玖珠フイルムクラブ http://kusu.news-site.net/)さらに温泉以外の観光スポットを調べていたところ、「童話の里」のルーツ・久留島武彦翁の存在を知ることになります。私は玖珠町で生まれ育ったものの、郷土の先哲や歴史を学校で教わった記憶がなく、玖珠町がなぜ「童話の里」と言われているのかを詳細に知りませんでした。ですから、観光客からそれを尋ねられたら、満足な解説ができるのであろうかという不安を感じました。
そのルーツに、玖珠町出身の久留島武彦翁が関っていることは何となく分かるのですが、その彼が“なぜ”大分県の先哲とされるのかは分かりませんでした。そこで、自身の遠縁にあたる久留島記念館・初代館長の轟義禮氏を訪ね、氏の著作『童話の父 久留島武彦翁の生涯』を頂き、翁の略歴に興味を抱くことになります。さらに同著のほか、草地勉著『メルヘンの語部』、大成経凡著『海の来嶋 山の久留嶋 童話の久留島』を読みふける日々が続きました。私はこの三冊を“武彦バイブル”と呼んでおり、それぞれの視点で書かれた翁の生き様は、いま必要とされている“何か”を、強く訴えているように感じました。
●武彦音声資料デジタル化のきっかけ
本を読んでいると、武彦翁の童話を聞いてみたいという欲求にかられ、当時の音声が残されていないかを調べることになりました。すると、久留島記念館にカセットテープが数本残されていることが分かり、その音源から調べることになります。平成十八(二〇〇六)年五月頃のことです。しかし、テープの劣化と録音状態の粗悪さで、再生された音声はひどいものでした。当時の録音設備を考えると、仕方がないのかなぁと(その時は)感じましたが、放っておけばテープの音質劣化は止まりません。
そこで、「音声をデジタル化し、CDに復元保存できないものか」と、友人の町野誠氏(映像企画)に相談すると、パソコンを使用してデジタル化する方法を教えてくれました。まずは応急処置として、確認できたカセットテープをデジタルCD加工し、わらべの館・酒井館長にお願いして、久留島記念館に寄贈しました。するとタイミングよく、このCDを平成十八(二〇〇六)年六月に開催された武彦翁四十七回忌法要(安楽寺)で、参列者の皆さんに聴いてもらうことができました。
●佐野浅夫氏寄贈の武彦音声資料
わらべの館には、俳優の佐野浅夫氏(第三代水戸黄門役)から寄贈された翁の肉声童話CDが一枚あり、館長にお願いしてその音源を調べると、それがレコードから復元されたものと分かりました。レコード特有のノイズが残っているものの、武彦翁の声の響きや話術を知りたい方には、貴重な音声資料でした。しかし音源の長さは短く、レコードの表裏合わせて六分間弱の口演童話でした。演目は『スイスの角のはえた娘』で、大正時代に発行された童話集『スイスの角笛』に収載されています。
わらべの館には、俳優の佐野浅夫氏(第三代水戸黄門役)から寄贈された翁の肉声童話CDが一枚あり、館長にお願いしてその音源を調べると、それがレコードから復元されたものと分かりました。レコード特有のノイズが残っているものの、武彦翁の声の響きや話術を知りたい方には、貴重な音声資料でした。しかし音源の長さは短く、レコードの表裏合わせて六分間弱の口演童話でした。演目は『スイスの角のはえた娘』で、大正時代に発行された童話集『スイスの角笛』に収載されています。
これに興味を抱いた私は、早速、佐野氏にこの音源の経緯を電話でうかがいました。佐野氏は昭和五十(一九七五)年、“NHKラジオで童話を長年にわたって語り続けた”ことに対して、第十五回久留島武彦文化賞を受賞します。以来、武彦翁に興味を持ち、折に触れて調べていたところ、大阪で翁の童話レコードを発見したというのです。この音源は、古いレコードから復元したもので、蓄音機で再生するため、デジタル復元には手間を要したようです。
この音声と先のカセットテープとの差は歴然としており、粗悪な音声がカセットテープの劣化ではなく、録音の仕方に問題があることが分かりました。ならば、複製音声のもととなるマスター音源からデジタル化すれば、佐野氏同様の高音質の音声が保存できるのではないか。佐野氏のデジタル化経緯のいきさつが、私に新たなアプローチを示してくれました。そこで新たな音源を探そうと、再び親戚の轟氏に相談することとなります。
●チャンスの神様が微笑むとき
運命はここで大きく動き始めます。轟氏から、愛媛県今治市在住の大成経凡氏を紹介されます。大成氏とは面識がないものの、年齢が近いこともあり、親近感を感じていました。電話で事の経緯を伝えると、「カセットテープの音声資料を一本持っています。必要があればお送りします」と言われ、その二日後に、テープと大分県先哲史料館所蔵目録が届きました。この音源は、同先哲史料館の書庫にオープンリールテープとして収蔵されているものでした。さらに調べると、届いたテープはそこから複製したダットテープからMD音源に複製し、さらにその音源から複製されたカセットテープということが分かりました。マスター音源の状態が良好なため、それら一連の複製過程でも音質の劣化が感じられず、届いたテープは私を満足させるものでした。
運命はここで大きく動き始めます。轟氏から、愛媛県今治市在住の大成経凡氏を紹介されます。大成氏とは面識がないものの、年齢が近いこともあり、親近感を感じていました。電話で事の経緯を伝えると、「カセットテープの音声資料を一本持っています。必要があればお送りします」と言われ、その二日後に、テープと大分県先哲史料館所蔵目録が届きました。この音源は、同先哲史料館の書庫にオープンリールテープとして収蔵されているものでした。さらに調べると、届いたテープはそこから複製したダットテープからMD音源に複製し、さらにその音源から複製されたカセットテープということが分かりました。マスター音源の状態が良好なため、それら一連の複製過程でも音質の劣化が感じられず、届いたテープは私を満足させるものでした。
この音声資料のタイトルは『チャンス』と呼ばれ、翁が少年向けに自らの体験談を話したものです。昭和三十四(一九五九)年一月十日、千葉県・野田興風会館講堂にて口演されたものを、当時、翁の秘書であった赤木要女氏が録音しました。勢家肇氏(故人)の研究資料にも、この『チャンス』が貴重な肉声口演テープであると書かれており、資料価値は研究者も認めるところでした。実際に聴いてみると、講演の六十分があっという間に過ぎていき、こどもたちの笑い声が新鮮でした。「チャンスの神様は前からしかやってこない」「いつでもつかむことができるよう、準備を怠るな」と、未来を自らの力で切り開くよう、こどもたちを励ますのでした。
この『チャンス』の音源探しから、私は同先哲史料館に翁のオープンリールテープが十七本保存されていることを知ります。ただ現状のままでは、この音源を“いつでも”“どこでも”“誰でも”が聴くことはできず、音声資料は倉庫に眠ったままということになります。声は、再生することができて初めて価値を持つ資料です。オープンリールテープの場合、再生には特殊な機材を必要とし、今のままでは歴史資料として保存はできても、一般市民が気軽に活用することはできません。武彦の魂は、「声の響き」や「語りの技」にあると言われますが、これを知らずして後世の人々に武彦顕彰を語っても、まさに言葉足らずといえます。武彦顕彰について、大きな課題が浮き彫りとなりました。
●新たな道を模索 ~久留島会との連携~
新たな課題に対し、先哲史料館に問い合わせを行ったところ、「平成十八(二〇〇六)年三月末で久留島武彦にかかわる研究調査事業は終了し、当館としては音声デジタル保存化に興味はあるが、事業予算がないためできない」という趣旨の回答が得られました。また、武彦研究調査の主任研究員であった大津祐司氏も、事業終了とともに人事異動となっていました。大津氏に連絡をとり、音声のデジタル保存化について相談すると、幾つかのアドバイスを受けました。「先哲史料館に書類を提出すると、音源テープを借りてデジタル化が可能です。できれば、デジタル保存したCDを当館にも寄贈して欲しい」とのことでした。
書類の作成には行政の壁があり、研究者でない個人の申請許可は難しく、団体としての印鑑が必要になりました。そこで、四十七回忌法要で面識を持った久留島会事務局長・河谷俊彦氏にその旨を相談すると、「久留島会の五十回忌法要の記念事業として、一緒にやってみないか?」と言われ、私は久留島会に入会することになりました。ところで久留島会とは、郷土の先哲・久留島武彦翁を顕彰し、翁の法事と童話祭の記念行事を支える、玖珠町森地区住民らで構成される団体です。年会費千円の小さなボランティア団体で、会員の高齢化・会員数の減少とともに、今後の目標をどこに置くか、会の存続もふまえ岐路に立っています。久留島会にとっても、翁の肉声デジタル化事業は、新たな起爆剤になることが期待されました。
会に入会するや、平成十八(二〇〇六)年八月に緊急役員会議を開催し、デジタル保存化の趣旨を提案しました。すると、「デジタル化にかかる費用は、久留島会で負担しましょう」との快諾を頂き、同会が申請者となって書類の作成を行いました。提出から一ヶ月後に許可が下り、オープンリールテープからダットテープに保存した音声資料を借りることができました。この資料を、大分市内の音響専門業者・テイクファイブに依頼し、ダットからCDにデジタル保存することとなります。出来上がった音源はCDで十七枚分ありましたが、重複した内容をのぞくと、実質は九種類の音源と判明しました。
会に入会するや、平成十八(二〇〇六)年八月に緊急役員会議を開催し、デジタル保存化の趣旨を提案しました。すると、「デジタル化にかかる費用は、久留島会で負担しましょう」との快諾を頂き、同会が申請者となって書類の作成を行いました。提出から一ヶ月後に許可が下り、オープンリールテープからダットテープに保存した音声資料を借りることができました。この資料を、大分市内の音響専門業者・テイクファイブに依頼し、ダットからCDにデジタル保存することとなります。出来上がった音源はCDで十七枚分ありましたが、重複した内容をのぞくと、実質は九種類の音源と判明しました。
一方、久留島会でもマスター音源の調査が始まり、北九州市在住の古村覚氏から、氏が録音・保存していた音源『デモクラシー』をお借りすることができました。お借りしたテープは、昭和四十年代に複製されたと思われるカセットテープで、昭和二十七(一九五二)年録音時のオープンリールテープは紛失していました。早速この音源についても、デジタル保存を行いました。さらに、平成十八(二〇〇六)年十月、大成経凡氏が玖珠を訪問した際、氏の案内で大分市在住の鈴木典彦氏のもとを訪問。すると、武彦翁ご子息である鈴木氏が、形見分けでオープンリールテープ一本を保存していることが判明します。事の経緯を説明すると、鈴木氏からデジタル化事業を喜ぶ声が聞かれ、この音源をテイクファイブに依頼し、デジタル保存することになりました。この費用は、大成氏が所属する「クルシマ友の会」が負担する運びとなり、私どもが所蔵するデジタル化音源集の一つとして収録されることになりました。



